理想のマスメディア

 近年、テレビや新聞のニュースでは、以前では考えられなかったような残虐な事件が溢れている。しかも、連日のように報道されていて、少し前に見聞きした、目や耳を覆いたくなるような事件が日々塗り替えられて行き、それに言わば慣れてしまいつつある自分が恐ろしくなるほどだ。

 そんな社会になってしまった原因を追究し始めたらきりがないのかもしれないが、メディアが提供しているものの一部、例えば、暴力的な映画やコンピューターゲーム、インターネットのウェブサイト、また、あえて言えば、凶悪事件の過剰報道等の影響力を決して過小評価してはならない。覚えている限りの記憶をたどってみても、それらを模倣した子どもや大人の犯罪が、実際に数多く起きている。

 以前読んだ雑誌に、「マスメディアが伝える言い回し、映像、音声、観念、人格特性、状況、価値観、美的感覚などは、わたしたちの考え、感情、発想の素材となる」と書かれていた。確かに、それはもっともなことだと思う。マイナス面で言うと、体にあまり良くない食べ物が、即座に体に悪影響を与えることはないとしても、それが少しずつでも蓄積されていくと、バランスの悪い体になったり、酷くすると死んでしまったりするのと同様だ。人の心と体は間違いなく、取り入れたものによって形作られるからだ。

 見聞きした事柄をすぐに実行するような人はほとんどいないかもしれないが、それが“潜在意識”に残っており、ストレスが溜まって限界を超えたとき、(もっとも、最近は我慢できない人が増えているのも事実だが、)正しい解消法を知らない人が、そのはけ口を求めて、実行に移すかもしれない。つまり、時にメディアが、犯罪行為のヒントを与えてしまっている気がしてならない。

 過激でリアルなものを求めるユーザーがいるから、メーカーは“売れる”もの、“視聴率が取れる”ものを製作する、すると、それを利用したユーザーが、もっと過激でリアルなものを求めるようになるという、まさに“悪循環”に陥っていると思う。しかし、メディアはあくまでも情報提供のための手段であって、問題なのは、あまり良くないものを提供する人たちと、もしかしたらそういうものを楽しんでいるかもしれない、わたしたちである。幸い、教養になるものや心を豊かにしてくれるもの、楽しくて笑いを誘うようなものも多い。より健全で、より建設的な情報がもっと行き交い、平和で明るい社会になってもらいたいとつくづく思う、今日この頃である。


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