毎年この時期は、人事担当者が新入社員をどのように育てるか、中堅社員をどのように育成するかと頭を悩ませる時期です。しかし、人材育成というのはなかなか予定通りにいかないものです。一つの要因として、対象としている社員が個人的に目指しているものと、企業の求める人材像にギャップがある場合が考えられます。これはむしろ通常の状態でしょう。社員教育はあの手この手で会社の求める人物像を個人の求める価値観を同一化しようとすることからはじめるのが一般的です。社訓の唱和などが新入社員研修ではよく行なわれるのも、このためであると思われます。
もともと日本の企業の人材育成はゼネラリスト志向が強く全ての業務を把握することが求められてきました。従って、個人の関心のあるなしに関わらず仕事を割り振り、ローテーションを重ねて成長させることが行なわれてきました。ここで求められるのは何よりも適応力であり、個人の価値観はある程度犠牲にすることが求められました。口下手で人見知りする人でも営業部に配属されれば営業をしなければならないのです。これは、本人にとっては大きなストレスとなりますが、これを乗り越えないと昇進が出来ないわけです。
近年、この手法に疑問が投げかけられています。一昔前は、企業の求める価値観にあわせることができない社員は不必要な人材としてオミットされていく運命でした。しかし、価値観の多様化や人材の流動化の動きが激しくなるにつれて、個人の価値観や特性だけを追い求めた人材でも、それが社会のニーズにあっていれば充分必要とされる人材となりうるようになりました。
例えば、無遅刻無欠勤、残業を厭わず有給もとらず滅私奉公の精神で勤めた社員と仕事はそこそこにして、有給は一杯まで使い海外旅行を楽しむ社員がいたとします。企業としては前者のほうが優秀な社員に見えるかもしれません。しかし、仮に、この業界が海外取引の需要が高まり海外で仕事をする機会が増えてきたとき、海外感覚のある後者の社員のほうが有益になることがあります。文化、学問、趣味など何らかの拘りを持ち、得意なことを極める社員は苦手なことを無理に取得させられる社員より遥かに習得が早く、その分野に関してのセンサーが高いため、また、企業が最も必要とする最新の業界情報を苦もなく把握していることが多いのです。
このような遍歴を歩いてきた方の著書を見ると、努力家タイプは殆どいません。むしろ仕事を楽しんでいたらいつの間にか、今の立場になっていたという方が大半です。このようなキャリアは精神衛生上でも有益です。
既に大手企業では複線型の人事制度を採用し、スペシャリストの能力を最大限に活かすような制度を整えています。画一的な人材育成以上に個々の従業員の特性や志向を把握し、それに合わせて活躍できる場を用意することが全ての企業に求められるよう時代が到来したように感じます。
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