庭園にて

 私共が事務所を置く入野町から北へ約20キロ程だろうか、龍潭寺は奥浜名湖、井伊谷の地にある。国名勝に指定されている龍潭寺の庭園は、建具を全面に開き頂く池泉鑑賞式庭園、多くの石組みを配し、築山と心字池によって構成された小堀遠州の作庭はしかし見事なもので、時を忘れて暫し見入ってしまう。

 ここから見上げる名月は格別なもので、月光の下に見る庭園もまた格別な趣きであり、私は周りの知人に是非にと拝観を勧めるのだが、殆ど興味を示す様子もないばかりか、まだ一度となく拝観したことがないとの返答に、しかし車で1時間も走らぬ近隣にこのような名園があるのは稀で、実にもったいなく、そのような反応の多さに思わず閉口してしまう。私などは国名勝に指定される程の名園を拝観するともなれば、一種のときめきにも似た感覚を抱くものだったが・・。



 「われわれは音楽を体験するように、生を体験するように、日本の庭を体験することができる。」これは「終わらない庭:淡交社」に収録された三島由紀夫の随筆の一節だが、三島由紀夫ほどの感度は持ちえぬにせよ、われわれ日本人は日本の庭を訪れることによって、時に永遠という言葉に凝縮されているような、美意識によってのみ具現化しうる高度な理論を体験することができる筈なのである。

 それにしても薄い反応には些か寂しさを感じる、なぜならばこの小堀遠州の庭園に見る絶妙の中に、現代の抱える諸問題に光明を当てるヒントが隠されているように私には思えてならないからである。


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