【ものが溢れている時代】
戦後の経済成長、バブルの崩壊、ITの発展など日本社会は大きな変化をもたらしてきた。その中で我々の生活環境も劇的に変化してきたが、最も大きな変化の1つとして「もの余り、もの溢れ」がある。
戦後、日本は正に何もないところから出発した。その中で、「少しでも人々の生活が豊かになるように」と先人たちは知恵と時間、互いの力の結集で様々な「もの」を生み出してきた。自動車やテレビ、冷蔵庫など生活に不可欠なものからおもちゃ、ゲームなど娯楽的なものまでジャンルも多岐に渡る。この時代が過ぎ、今は“何でも”手に入る時代となった。例えば、子どものおもちゃ。我が家には3歳になる子どもがいるが、子どもが誕生するや否や、ご近所、知人、親類など色々なところから使わなくなった“お古”のおもちゃや洋服などをいただいた。どうやら、“お古”を回す子どもたちが少ないようで、子どもがいる家に集中するようだ。いつか、これらが、新たな子どもに“集中して”回っていく。さらに、外食をすると必ずおもちゃが付いてくる。最近では、写真の現像をするだけでおもちゃなどが与えられる。このように、我が家にはおもちゃが溢れている。これはほんの一例に過ぎない。大人の世界でも同様で、安い商品が流通していることや昼夜を問わずお店が開いていることなどから、高級感などを気にしなければ、必要となる「もの」が手に入らないことはほとんどない。
【ものができて手に届くまで】
私たちが「もの」を目にする時は、お店(最近は、インターネットなど)に既に存在している。そのため、それらが「あって当たり前」という感覚に陥る。しかし、その商品が「手に届く」までは先人の発想から、それを形にするための開発や製造、そして手に届けるまでの運送や販売など多くの人の手がかかっていることを忘れがちである。食べ物でも同じで、自然の力、農家さんの力、そして料理してくれるお母さんの力などがあって始めて食べることができる。そのようなことは商品を見ているだけでは知ることができず、また、知る機会も少ない。
【ものを大切に思う気持ち、取組み】
このような生活環境では「ものを大切にする」という感覚はどうしても薄れてしまう。このことは、人が持つべき「感謝」の気持ちの希薄化にもつながっているのではないかと感じる。あまりにも安価な商品が出てしまうのも、社会にとって良いことなのかと疑問を抱くこともあるが、今さら言っても留まることはない。必要なことは「ものを大切にする」という気持ちを、大人から子どもまで常に意識することである。そのためには、ものができるまでの過程を知ることや、それまでの体験談を聞くことは重要であるし、また、自ら作ってみることも必要といえる。
もう一度、「もの」を大切にする気持ちの原点に帰り、豊かな社会となっていくことを願いたい。
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