人はこころの中に「ものさし」をもっています。人生の経験や哲学、人間の総体で培われた無形ではあるけれど、なんでも測れる「こころのものさし」です。日本は有史以来、国の中心に仏教を据えて、時代ともに制度や法律を書き換えながら、社会を発展させてきました。時の権力者でさえ、神仏の前ではひざまずいてきたのです。ですから、社会で生きる私たちの生活、そして人の心にも仏が中心にあったのです。
ところが、戦後の激しい市場競争の中で、私達はいつの間にか経済を中心に社会を発展させてきました。仏が中心にあって機能するはずのこころのものさし、「慈愛の念」や「思いやり」も、経済が中心にあっては社会の中ではなかなか機能することができなくなってしまいました。経済はすごく大事なこと、でも、たかが経済ということを忘れてはいけません。この「ものさし」で測れるのはせいぜい勝ち負けぐらい、誰も救われないのです。数年前から「勝ち組」、「負け組み」、「格差社会」そんな言葉が横行しています。それが多くの人の心と社会の表れなのでしょう。ですが、そんな言葉が横行するたびに、犯罪や自殺、弱い者への虐待が加速度的に増えているということを知らなければなりません。
ここ数年、いじめ、自殺者、虐待、ほんとに胸が痛くなるような事件があとを絶ちません。他にも利権に群がる政治家、談合、公務員の犯罪、数え上げればきりがないほど多くの問題を抱えてしまっています。題名を「こころについて」と書きましたが、人のこころはそれぞれ、私などがお話できることとは思いませんが、それでも悲しいニュースを聞く度に考えさせられてしまいます。「願わくは、子供達のこころが健やかに育っていける未来を・・」どの時代の大人も当たり前にやってきた仕事です。お金を稼ぐだけが仕事ではありません、「ここのものさし」きちんと持てていますか?
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