人としての使命

 昨今、心が痛むニュースが非常に多い。親による子どもの虐待や学校でのいじめ、教員や行政職員の不祥事など、挙げればきりがない。これらの要因はいくつかあると思うが、その1つとして「使命」の欠如があるのではないか、と考える。

 「使命」を辞書で引くと“使者として命ぜられた命令・任務”“与えられた重大な任務”などとある。仕事などでは馴染みがある言葉だが、最近の事件や事故などとは無縁のようにも感じる。しかし、「人としての使命」と考えると、決してかけ離れた言葉ではない。それは、「尊い命(人生)を何に使うのか」ということである。

 社会が成熟化していくにつれ人間の生き方は多様化している。そのため、「こうでなくてはいけない」という生き方は薄れていき、「自分の好きに生きてよい」という考えが浸透してきた。それによって、新たな挑戦を試みる人もいるが、反面、「仕事をしなくてよい」「子どもを育てなくてよい」「近所づきあいをしなくてよい」など「自分勝手」が生じている。その結果、「尊い命(人生)を何に使うのか」ということ、「何のために生きているのか」ということが欠如していることは否めない。

 「何のために生きているのか」と問われた時に、「自分のため」という回答は決して間違いではないと思うし、多くの人がそう答えるかもしれない。ただし、人は決して1人で生きているのではない。家族、会社、地域、友達、近所など何らか形で関わっている人がいる。もっといえば、動物や森林、海、山なども関わりがあり、それらの中で、それぞれの力があって生かされている。その中で、大人として、社会人として、親として、住民として自分は何を担っていくのか、貢献していくのかというのが「人としての使命」ではないかと思う。その「使命感」があれば、もっと子どもたちを守ることができるし、それぞれの仕事に対して責任感をもって務めることもできるはずである。税金滞納やフリーター、ニートなども減っていくのではないか。

 これからの社会や子どもたちのために、1人でも多くの人たちが、もう一度「尊い命(人生)を何に使うのか」に立ち返り、少しずつでも行動を起こすことが良い社会づくりのきっかけになるのでは、と思う。

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