昨今、多くの社会問題や事件が発生しているが、その背景には「人を尊重すること」の欠如があると思う。「人を尊重すること」は、目上の人や尊敬する人に対しては当然のことであるが、決してそれが全てではない。人を「人」として敬うことは、自分よりも年上か年下か、男性か女性か、大人か子どもか、など全く関係ない。
私は、仕事柄か自分よりも目上の方々とご一緒させてもらうこと場面が多い。その中で、しばしば「若い」ということで軽く対応されたり、名刺交換すらしてもらえず終わってしまうことがあった。その場で存在感を示すことができない自分の力の無さが最も大きな要因であることは間違いないのだが、単に「若い」というだけで軽視されたことを何度か実感したことがある。
このような方々が多い中、あるシステム開発会社の会長さんは違った。今の会社に入社し初めて社長への同行で営業に出掛けたのがこの会長さんの所であったが、当時はまだ名刺すら準備できていない状況だった。それから数年後に会長さんとお会いしたのだが「お久しぶりです。覚えていますか。」と会長さんから声をかけていただいた。たった一度お会いしただけの、社会人としての経験や地位も全く違う青二才に会長さんから声をかけてもらったことにたいへん感激した。その後、何度かお会いする場面があったが、いずれの時も変わらず丁寧な対応をされる。その度に「立場に関係なく人を大切にする方だな」と感じ、人間としての深さを感じる。それ以降、特に年上の方と会う時の自分への対応で、その人の人間性が見える感じがする。このように、立場を関係なしに人を大切にする気持ちや行動が、自分も含め社会の多くの場面で欠けていると感じる。
これは子育てでもいえる。どんなに小さな子どもでも、それぞれが「人」としての権利、主張を持っている。それは尊重されるべきである。教育というフィールドで「子どもは大人の言うがままにしなくてはならない」と誤解されてしまうが、それは大きな間違いである。無論、道徳的や社会的な視点から「やってはいけないこと」は教えていかなくてはいけない。しかし、子どもの主張を無視してはいけない。一人の「人」として意識しなくてはいけない。もし、子どもを軽視し主張を拒否しつづければ、子どもは自分の意見を持たなくなる。人の意見で行動する子どもは、自分で判断しようとはしない。その結果、責任を人に押し付ける、自分では責任を取れない人間へと育てることとなる。
男性と女性のあり方(男女共同参画)なども、この「人を尊重すること」が大きなポイントであると思う。今後、より良い社会をつくっていくためには、性別や地位、年齢に関係なく、人を尊重し大切に思うことが重要になるのではないか。
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