先人の問題解決力

 社内旅行で韮山反射炉を訪れました。炉の高さは16メートルで最初は思ったより小さく感じましたが完成が安政4年(1854年)であること、良質の耐火煉瓦と設計の精工さは今日の溶鉱炉にも匹敵するという話を聞くにつれ、当時の状況を思いうかべ2つの点に感心しました。

 【日本を救った江戸時代の技術力】

 1つはこの時代の技術力です。一般に近代的な建造物や技術は明治維新後に導入されたものであり、江戸時代は鎖国と幕藩体制の維持に固執していたため世界から取り残された観がありますが、江戸時代中期以降は、近い将来予想されるリスクに対し着々と対策を打っていました。すでに江戸湾の海岸防備や蝦夷地の探検、日本各地の測量を行っており、技術力はアジアを基準にすれば決して低いものではなく、この反射炉も着工からわずか3年で完成しています。

 薩英戦争や下関戦争は西欧の近代兵器の前になす術もなく破れた戦争としか評価されていません。しかし当時の日本の銃砲火器による抵抗の激しさや技術力は、列強に容易に植民地化できない相手だと判断させ、侵略を遅らせることには成功しました。その後日本は国論を統一して明治維新を迎えるのですが、実はこの期間は、欧米列強が南北戦争やドイツ、イタリアの統一等、それぞれ国内に問題を抱えており、植民地政策に余力が回らない時期でした。見方を変えると、侵略を遅らせた江戸時代の技術力がなければ、日本は明治維新を迎えることなく即座に植民地化されていたとも考えられます。

 【江戸末期の問題解決力】

 日本が幕末から明治へと変わっていく時代は、上述の通り植民地政策が一時的に緩くなり、清では同治の中興とよばれた時代を迎え、洋務運動を進めていました。しかし清の洋務運動は技術のみを取り入れようとするものであり、国の体制そのものを変えていくには至りませんでした。このため、同治帝の死後、時の権力者西太后によって廃止されました。一方、日本は単に抵抗したり、西洋の技術のみを取り入れただけではなく、「武家社会から近代国家への転進を短期間になしとげました。ここで感心するのは、外国船の出現や開国の要求という表面に現れた問題のみに対処しようとするのではなく、背景にある列強による世界分割の流れ捉えたこと。それに対してセポイの反乱や義和団事変のような抵抗をするのではなく、近代国家になるという目標のもと、富国強兵、殖産興業、廃藩置県、徴兵制や学制の実施等の適切な対策を講じたことです。この未曾有の国難に対する問題分析や正しい判断がなかったら、その後に世界史の潮流になる帝国主義のなかで、植民地化されていたのではないかと思います。

 先人の技術力や判断力、問題解決力の高さに感心しながら、ふと反射炉を振り返ると煉瓦の一つ一つが先人の英知に見え、炉の先端の日光がより一層眩しく感じました。


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