食べる人の気持ち

 食の安全が問われるようになって久しいが、私たちが安心のできる食とはどういうものなのであろうか。こと生きる糧である食に関しての疑問はつきない。食の安全について書かれたとある文献に、年々菌が強くなってきているという記述があった。菌というのは、悪疫をもたらすサルモレラ、ブドウ球菌などのことで、恥ずかしながら現在の仕事につくまで菌が強くなるなどと想像だにしていなかった私は、詳しい人に聞いてみて納得のいく説明をもらった。菌を死滅させるべく鍋にはった水を沸騰させたり、あるいは消毒したりするのだが、それでも中には耐え抜き生き残る菌がいて、それがまた繁殖をしていくというのである。厳しい環境下で強い菌へと変化していくという、まるで進化論ではないかと妙に感心をしてしまったのである。

 食の安全が叫ばれるようになった理由にも、やはりこのことも無関係ではなかったのだろう。ふりかえると、一人暮らしの私でさえ今や購入する食材は安全なのか、製造元は信頼できるのかと見定める有様である。それだけ過去の不祥事が市場にあたえたインパクトは大きかったのだろう。より安全なものを手にいれたいと皆が思うようになり、信用のあるメーカーには多くの注文が集中するという現象がおきているという。

 信用のあるメーカーとはどのようなものだろうか。作る過程、すなわち材料の仕入れから店頭に並ぶまでの安全が管理されているメーカーのことである。例えば米国のスーパーマーケットは、管理システムの1つであるHACCP(ハセップ)が導入されていないメーカーからは仕入れないという。同じように、日本でも取組む企業が増加してきている。メーカーは、安全を管理する上でハード面の障害があれば、それなりのノウハウをもった建設業者に依頼して改築や新築をして克服をする。食品メーカーにとっては大変にお金がかかる話ではないか、しかし、それでも先駆者達をみれば投資した分が十分に戻ってくるということを伺い知ることができる。食へのこだわりは広く波及し、そして安心こそが付加価値を与えるといことに我々はあらためて気づかされる。それこそが、我が子には安全なものを食べさせたいという消費者の要望に答えることではないだろうか。

 ことの経緯は忘れてしまったが、突然に我が実家では自家製の味噌をつくるという行事が始まった。小学生の頃のことである。それからずいぶんと時が経ち、実家を離れ一人暮らすようになった私が行事のことなどすっかり忘れていると、今年の味噌が思いがけず送られてくるのである。そのたびに味わって感動するのである。おそらくは一生懸命、私にも食べてもらうことを思いながらも丹精込めたであろうことが容易に想像できるからである。真心のこもったものを食べると思わず感謝をしてしまう。そのような事は誰しもあるのではないのだろうか。すべからく食を提供する者の理想は、私にとってはこのようなことなのではないかと思うのである。


≪ トップページへ戻る
≪ トピックスメニューへ戻る