社長のコラム

第27回 「生き方」 (2005年5月)

 近頃、「天を衝く」(高橋克彦氏 著)と「壬生義士伝」(浅田次郎氏 著)を読み、感銘を受けました。2つは偶然にも岩手県の南部氏が題材になっている小説でした。昨年、仕事で滞在時間が18時間と非常に短いながらも盛岡を訪ねたことがあり、「壬生義士伝」に記述されているように優しく、美しい街だと感じ、その光景を思い出しながら小説を読み進みました。「天を衝く」は、九戸政実が主人公で、歴史好きの私も知らなかったのですが、豊臣秀吉が天下を統一したのちに、秀吉軍(本人は出陣していないが)十万と戦った武将です。史実には南部家の当主と自称して1591年に南部家を攻め、南部家が秀吉に援助を要請し、四日間の籠城戦の末に降伏しましたが、斬殺されたとされています。

 一方、天を衝くでの視点は、秀吉の統治方法に対する奥州武士の伝統と意地でけんかを売ったとなっています。私も九戸政実ほどの実力者なら秀吉政権が安定しないうちに南部家の当主となるはずだし、この頃には当然秀吉との戦を想定していないとは考えられません。「壬生義士伝」は、南部藩士の吉村貫一郎の物語です。史実では、貧しかった吉村は五人の家族を憂い、南部藩を脱藩して、当時天下に勇名を馳せていた新撰組に入隊。文武両道の才を買われ、諸士取扱役兼監察 剣術師範に抜擢されました。どちらかというとお金のために人斬りになった印象を与えますが、壬生義士伝では人間吉村貫一郎に焦点を当てており、その時代を純粋に生きた描写となっています。著書は、著者の考えや見方が入るものですが、以前、山本周五郎の「樅の木は残った」を読んだ時には、歴史として伝えられているのは、勝者の歴史であることが理解できました。

 (余談ですが、5月9日にロシアで対独戦勝60周年式典が行われ、バルト3国のラトビアは、ヒトラーとともにスターリンを批判していました。ヒトラーの残酷さを知らない人はいませんが、スターリンがヒトラー以上の人を惨殺したことはほとんどの人が知りません。)

 両著を読んで、どんなに泥臭くても自分なりの生き方を貫いた人の美しさに共感を覚えました。自分の生き方は他人から評価されなくてはならないものではなく、汚名を被っても芯を貫くことが大切だと思います。安定した時代には、時代の価値観で安穏と生きられるものですが、現在のように変化が早く、混乱している時には他に価値観を求めていたのでは一貫した生き方はできないと感じます。早い時期に、自分は何のために生きるか自覚した人が強いのかもしれません。

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